第三十章
■楠堂浩己一人旅奮戦記■
 UA(ユナイテッドエアーライン)は成田飛行場をPM4:30定刻に出発。ここまでは順調である。多くは日本人であるがアメリカ人を含め中国人、韓国人色々な人々が乗り合わせている。およそ8時間ちょっとの狭い席での飛行は眠ってしまえばよいのだが、サンフランシスコでの乗り換えなどを考えるといささか心配で、眠りにつけないものである。

 軽く一杯ビールを飲み、機内食をすまし、長時間旅行用の首枕をして本を読む。これが楠堂浩己の旅のスタイルだ。大きく揺れることもなく802便はサンフランシスコに到着した。アメリカ本土に上陸は始めての楠堂浩己は取り敢えず、他の乗客の後を着いていくことにした。だいたい全員が荷物受け取りの場所へ行くはずであるから。

 予想通り乗客は全員荷物受け取りのカウンター前で待機した。楠堂浩己も自分の荷物が回ってくるのを目を凝らして見張っている。今回はシンバルとスネア、それと大きめのスーツケースがひとつ。程なく自分の荷物を手に取りみんながそうしているようにキャリーに荷物を全部のせた。さあ、これからが大変だ。先ほどと同じく他の乗客の後を着いていくことにした。

 「日本人を選んで着いて行けば、なんとか税関までは行くことが出来るだろう」
 東京を出発前に耳にたこができるほどサンフランシスコ到着の後の手順を聞いてはいるが、実際は、教えられたもの以外も目に入り、他の乗客の後ろを着いていくのが一番と考えた。イミグレーションは朝が早いということもあり比較的すいている。この辺までは、ハワイ、グアム島まで行っているのでこれと言って問題はなかった。

 だいたいが一人で外国旅行するなどというのは今回が初めてである。今まで全部が団体旅行であった。

 このイミグレーションを過ぎてからが問題なのである。サクラメント行きの飛行機に乗り換えなくてはならない。その前にこの手荷物をサクラメント行きのカウンターに預けなくてはならない。これは東京を発つ前に色々と聞かされていたことである。しかしサクラメントへ行くような人は少人数である。先ほどのように誰かの後ろへ着いていくというわけには行かない。ここからは自力で行くしかないのだ。

 サクラメント行きの飛行機に乗るには、サンフランシスコの飛行場の中を端から端まで歩いて移動しなくてはならない。もう完全にひとりぼっちといえる。東京で言われたことを思い出しながら建物の中を端から端まで歩き、やっとサクラメントへの発着場行きのバス乗り場に到着した。
 「フーン、これで一安心だ」とばかりにバスに乗り込んだ。乗り物に乗れば早いものだ発着場までは2分もかからないうちに到着した。到着はしたものの、何か飛行機が出るという気配がない。

 「困ったときは掲示板を見るように」との旅行社の方の言葉を思い出し掲示板をみた。
 どうも2時間遅れらしい。飛行機の発着場も変更しているようだ。
 「こりゃ困ったぞ」誰にどう聞いて良いのやら分からない。
 「良し日本人を捕まえて聞いて見よう」これなら間違いないだろう。
 「来た来たこれは間違いなく日本人だ」
 「すいませんサクラメント....」と言いかけると
 「I'm Chinese!」見かけだけでは分からないものである。続いて日本人とおぼしき旅行者に前回と同じように
 「すいませんサクラメント....」と言いかけると
 「I'm Korea!」韓国人だ。仕方なくインフォメーションに行く。
 「サクラメント、サクラメント」サクラメントを連発するも何か指さすだけでなにをいっているかよく分からない。何度も手振りを見ている中に、
 「階段を下りたところにあるバスに乗ればよいのだな」と何となく気づき、不安もあったがバス乗り場の係員に
 「サクラメント?」と聞いてみると
 「イエス、サクラメント」と手招きをしてくれた。
 掲示板を見ると、2時間遅れになっている。今度はサクラメントについてからの心配が頭をよぎる。成田空港で聞いた形態の留守番電話に
 「サクラメントに誰も迎えに来ていない場合は、タクシーに乗ってくれ」等とメッセージが入っていた。
 「中川さんはなにを考えているのだ私が始めての海外一人旅というのは良く知っているはずなのに・・・」ぶつぶつ言いながらセスナ機に毛が生えたような飛行機に乗り込む。

 もちろんプロペラ機だ。定員もおそらく二十名以下だろう。
 サンフランシスコ離陸後30分余りでサクラメントに到着した。
 携帯電話へのメッセージのように
 「誰も迎えに来ていなかったらどうしよう」手荷物を受け取りながらそんなことを考え外へ出てみると、
「KOJI」のプラカードが目には入る。ショートパンツ姿の、中年のおばさんのお出迎えだ。
 「これで一安心」ボランティアの出迎えにほっと胸をなで下ろした。

 ホテルでバンドのメンバーと再会をしたのもつかの間、私は楠堂浩己に
 「これからインターナショナルバンドの歓迎会があるがどうする?」と訪ねると、
 「是非参加したい」
 私は楠堂浩己の旅の疲れも考慮に入れ参加は自由と言ったが、
 「せっかくなのでパーティーに参加する」と言うことになった。つきあいの良いのも楠堂浩己の特長だ。

インタナショナルのウエルカムパーティーは敷地三百坪ほどの、篤志家の庭で行われた。夕方から始まったパーティーは、六時だというのにサマータイムの影響もあってか、カンカン照りと言った方がよいだろうか。

 和やかな中にパーティーは始まった。日本で良くやるパーティーのように、主催者の挨拶だの、インターナショナルの代表の挨拶も抜きで何となく始まった。
 オーストラリア、オランダ、ウルグアイ、スウェーデン、それと私たち日本である。
 ウルグアイ以外は、私たち日本人の目には全部アメリカ人に見えてしまうが、一言口を開くと、明らかに英語の発音が違うので、
 「やはりインターナショナルだ」と認識を新たにする。
 もうご存じだと思うが、オーストラリアなどは「サンディー」は「サンダイ」、「ペーパー」は「パイパー」、英語のスペルの中で「A」は全部「ア」になるのだ。
"今日は日曜日"をオーストラリア語で言うと"トゥダイ イズ サンダイ"となる。
 オーストラリアの連中は何度か日本に来ているという話をしていた。私も去年このバンドを見ているが、フェスティバルナンバーワンと言っても良いだろう。
 百坪ほどの芝生の庭で、40人ほどが自由に酒を飲んだりステーキサンドをごちそうになった。お互いに名刺を交換したり、写真を取りあい、親交を暖めている。
 パーティーが終わるときも始まったときと一緒で、これと言った挨拶もなく、何となく自然解散である。招待してくれた方がどの人か、誰なのか結局分からなかった。

 全員が揃ったデキシーサミットバンドも、こうやって見ていると、後から参加の楠堂浩己が一番社交性があるようだ。

 楠堂浩己が日本を発ったのは、5月24日の午後4時半、でここアメリカ、西海岸のサクラメントに着いたのが5月24日午前9時、もうお分かりだと思うが、日付変更線の関係で発った日の朝に着くという不思議なことが起きる。
 昨日の午前中にでも、飛行機が定刻通り到着していれば、楠堂浩己にはつらいことと思うが、12時からの仕事には間に合っていた。
 幸か不幸か飛行機が遅れたため、今日5月の25日が楠堂浩己の初仕事になった。
 私たちにとっては待ちに待ったドラマー楠堂浩己だ。
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