第十四章
■私と音楽の出会い■

 私の記憶にある最初の音楽は、多分父のバイオリンであろう。それに気がついたのは私が広島にいたときであるから5〜6歳の頃だと思う。
 ラジオから流れてくるバイオリンの音でアベマリアを耳にしたのだ。自分の記憶では初めて耳にするのにいつのまにか口ずさんでいた。そして何か非常に懐かしい思いが込みあげてきたのである。 その後も知らない曲をやはり口ずさめた。

 その次の音楽との出会いは教会だった。指導員であるシスターたちのお祈りの声がいわゆるファルセットで私には天使の声に聞こえた。
 その施設にいる子供全員が聖歌隊に参加しいわゆる賛美歌を歌うのだ。
 実のところローマンカトリックの方では賛美歌とはいわずに聖歌という。
 賛美歌と聖歌とはは少し違う。聖歌とは主にグレゴリア聖歌から引用されている、場合が多い。歌詞も日本語ではなくほとんどがラテン語であった。今考えてみると和声学の見本のような音楽であった。知らず知らずに養っていたハーモニー感は私の無意識に作用して、一生涯の音楽生活の糧となっている。

 7歳で別府にまた戻ることになったが、その施設に残っていた長男がバイオリンを習っていた関係で私も少し習うことになった。
 そのころ習った曲で記憶に残っているのは「ちょうちょ ちょうちょ」とハ長調の音階ぐらいであろう。そのバイオリンは先生の都合で半年ほどでやめることになった。

 次に何といっても小学校の音楽である。まずラジオ体操、運動会の行進曲であった。 私のいた施設の中にあった蓄音機にも思い出がある。
 アメリカの進駐軍が出入りしていた関係でロングプレーのSP盤があった。その中の1枚に「ペルシャの市場」というSPがあり、それが1番印象に残っている。
 やがて私は、園長の勧めでピアノを習うことになった。といってもその施設にピアノがあったわけでなく、小さな教会の足ふみオルガンだけである。どうしてもピアノの先生の所に行くと足ふみオルガンの癖で足が動いてしまうのだ。
 「喜弘ちゃん足を動かすのはやめようね」!とよく注意された。
 もうひとつ困ったのは、オルガンとピアノのタッチの違いである。足踏みオルガンから比べるとピアノのキーが重く困ったものだった。
 そのころピアノを少しでも弾ける人はその施設にはいなかった。そんな関係で11歳のころから教会のオルガンを担当することになったが、弾き方を教えてくれる人はいない。小学校で習った三和音を頼りに自分流で弾いたのである。

 私の子供時代の、音楽とのかかわりあいはこのようものである。
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