■ 序章 ■
 もはや戦後という言葉は死語に近い。しかしある人にとっては、何年たっても戦後は戦後である。よく今時の若い者はというが、戦争を始めた連中、またその世代の人たちは決してそんなことを言う資格はない。もちろんその時代、その時の流れ、等々で一概にすべてを悪くは言えないが、今の若い者が少々いたずらをしようが、髪を赤く染めようが、耳に穴を開けようが、高速道路を車でぶっ飛ばし、少々の入れ墨を体に入れる事など、戦争を始める事と比べればかわいいものだ。
 そんなに昔の人が偉いなら、「コンピューターを使いこなしてみろ!」と言いたい。私はここで何も道徳論を戦わせるつもりは毛頭ない。昭和17年生まれの私も第二次世界大戦の被害者だ。あの戦争のおかげで私の人生は大きく変わった。それが運命であるといえばもはやそれまでだが、しかし悲惨なものであった。といっても人生を狂わせられたのは、私ひとりではないであろう。
しかし、このことは日本人だけに限ったことではない。日本と戦ったアメリカなど連合軍にも多くの被害者、犠牲者が出たはずだ。こんなことを言うとその筋の人に怒られるかもしれないが、あの戦争は負けてよかったのではないか。負けてよかったということはおかしいが、そのおかげで現在私はジャズができているのだ。ジャズはもちろんアメリカが生んだ最大の文化だ。戦争に勝っていれば、現在の私はジャズをやっていないだろう。
 今回私はアメリカのサクラメントで行われたジャズフェスティバルに出演し、大きくこのことを主張してきたつもりだ。国民一人ひとりはだれも戦争などしたくない。
 もちろん愛国心、日本を愛する心は、また他国に負けたくないという気持ちは大いにある。それが戦争につながることは本当に悲しいことだ。私は戦争でなくジャズで向こうの人と闘ってきた。その奮戦記を皆さんに報告したい。


 「ウォー」という唸りとも、「ゴォー」という地鳴りにも近い歓声と拍手に包まれた。「フー、これで終わった、役目は果たした」日本のコンサートでは味わうことのできない達成感だ。
「Thank you very much!」
「ウォー!」
「See you next year!」
「ゴォー!」
「Dixie summit from Japan」
観客は総立ちだ。こちらアメリカでいうスタンディングオーベーション、2,000人近い観客が拍手とともに総立ちだ。
再度「ありがとう!」「ありがとうございました!」
日本語でマイクに向かって叫んだ。「そうだおれは日本人なんだ」「See you next year」これが今年最後だと思うと、喉なんかつぶれてもいい、腹の底から「どうもありがとう、どうもありがとう、どうもありがとう」それは声というよりも動物が吠えているといった方が良いかもしれない。体中に感動が走る「やった−!」ジャズに携わって40年。なんだか、この日のために今までがあったような錯覚に陥った。拍手と歓声は鳴り止むことはなかった。
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