第三十四章
■旧友との再会■

 ステージ終了後メンバー全員れ同じ敷地内の別の場所で演奏しているバンドを聴きにいくことにした。サクラメントジャズジュビリーのミュージックディレクターをしているMr.ロジャークラム(ベースプレーヤー)のバンド。バンドの名前は
「フルトンストリートジャズバンド」(Fulton street jazz band)この中には、初日に私たちのバンドを手伝ってくれたドラマーがプレーしている。

 昨年は何回も一緒に演奏させて貰いメンバーとは顔見知りだ。とくにドラマーはエキストラとして私たちのバンドに何回か来ているので親しみがわく。
 私たちが駆けつけたときは、最後のセットに入っていた。去年とは大幅にバンドのスタイルを変えており、とてもディキシーランドジャズバンドとはいえない。正直に言うと、スイングジャズでもなく、ディキシーランドジャズともつかず中途半端で、スタイルを変えた意味が良く伝わってこない。何はともあれステージ終了後,、
「ナイストゥミーツユー」これ一本でみんなと握手をして回った。
 Mr.ロジャークラムには、今回日本から我々のバンドを招待してくれたことに感謝の意を表し、アメリカで通常の挨拶、肩と肩を抱き合って再会を喜びあった。

 時間は午後8時半だというのにまだ充分に明るく、
「そろそろ日没かな」と思わせる日本では見ることの出来ない、コバルトブルーの空の色に思わず
 「きれいだな!」誰の口からともなく漏れた。
 今日の仕事場であったスーパーマーケットはまだ営業中で、またまた皆で、しばしの買い物を楽しんだ。
 外国に行くたびに、一般地元市民が買い物をするスーパーマーケットや、意味は同じだが市場、バザール、などに買い物に行くのが私の趣味と言っても良い。

 在露韓国人のいた、ロシアハバロフスクのバザール、めちゃめちゃ汚かったバンコックの市場、中近東の人が経営しているニューヨークのお土産や、韓国人が経営している同じくニューヨークのデリカテッセン、たばこをばらで売りで歩くフィリピンの子供達、行くところ行くところで、その国の文化が肌で感じ取られ、ついついスーパーマーケットなどに足を運んでしまう。

 しかしアメリカと言うところは、
 「どうしてなにもかもがでかいのだろう」
 「お化け野菜のオンパレード」と言っても良い。何回足を運んでも驚くことばかりだ。
  私はポテトサラダ用にマヨネーズ、このマヨネーズがまた実においしい。
 「日本に帰っても買いたい」ともらすほどのおいしさを感じた。たぶん日本に帰ると他に沢山食べる物があるので、今の気持ちは変わると思うのだが・・・。

 今夜は楠堂浩己の歓迎会もかねてステーキハウスで食事をすることになった。こちらの肉料理は
 「うまい!」と言うほどではないが、
 「まずくて食えない」と言うほどの物でもない。要するに
 「まあまあ」と言うところか。
 楠堂浩己の「サンフランシスコ飛行機二時間遅事件」での悪戦苦闘の話に、みんなで笑い転げた。楠堂浩己にしても今だから笑えるが
 「あの時はもう日本に帰ってしまおうと思った」位真剣だったらしい。とくに日本人だと思って中国人と韓国人に声をかけた下りでは、彼には悪いが、全員、涙を流して笑っていた。
 「まあ何にしても、無事でなにより」この言葉で今日の食事会は終わり。

 明日5月26日は始めてのバカンスだ。仕事がオフである。観光でサンフランシスコに行くつもりだ。
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