第三十五章
■英二郎の親孝行■
今回のサクラメントジュビリー参加あたりから、英二郎が私に対する態度が柔らかくなってきた。英二郎にとっては、二、三年前までは能力の個人差と言うことに気が付かなかったようである。と言うのも、たとえば一緒にスタジオなどで仕事をしても、以前だとかなり手厳しく、音程が高い、リズムが転ぶ、音色云々と良く文句を言われたりした。
 断っておくが、文句を言われるているのは私の方である。また私以外の人に対してもこと音楽に関しては「完全主義」と言っても良いがだろう。

 数年ほど前になるが、「K・E」とういうCDアルバムを制作したことがあった。長男幸太郎と英二郎合作のCDだ。この時長男幸太郎は私の力量と持ち味を生かしたアレンジをして私の吹くところを作ってくれた。
 その時英二郎のアレンジの中では、とうとう私にはあるラッパを吹かせず、なんと自分でラッパを録音してしまった。英二郎曰く
 「今の時代の音楽は、パパはリズムが悪いからだめ」と冷たくいい放った。
 この態度は私にだけではない。言うなれば音楽弱者に対してかなり手厳しいのだ。

 今は認めているものの、幸太郎の初期のアレンジに対しても
 「良くない」ズバリ切り捨てることがあった。
 「私の育て方が間違っていたのか?」その当時は少々反省もした。
 私は英二郎に言って聞かしたことが有る。
 「どんな人でも生きて行かなくてはならない。たとえその人が音楽的に劣っていても、その人は生活をしなくてはならない。英二郎にはその人の生活権を奪う権利はない」結構深刻な話を親子で交わしたことがある。英二郎に言わしてみれば
 「だって一緒にやっててやりにくい」ただ単にこれが理由なのだ。
 あれから二年、英二郎も人間的に成長したのだろうか、最近気持ちが悪いほど私に優しいのである。

 だいたい英二郎が今回このサクラメントジャズジュビリーに参加するだけでも、二年前なら実現しなかっただろう。私には心境の変化は理解できないが、これは想像だが
 「親孝行は今の中」というような人間的な優しさが出てきたような気がする。私も単純である。

 「私の育て方に間違いはなかった」私もこれだけ「ノー天気」ならこれからも問題はないだろう。親子で参加した今回のサクラメントジャズジュビリーは、身内と言うことを抜きにして、音楽的にも英二郎の人間的にも完成度の高い経験をさせて貰った。

 明日は9時にサンフランシスコに出発だ。
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