第三章
■中川英二郎■
中川英二郎1975年10月7日東京生まれ。東京芸大付属高校卒 東京芸大入学

 1975年8月4日、日本のジャズ史にとっては忘れられない一日となった。日本ジャズ界の草分け南里文雄が64才の生涯を閉じたのだ。南里文雄は日本においてのサッチモことルイアームストロングに匹敵するだろう。その歴史的な八月四日から六十四日後に中川英二郎は生まれた。何という運命的な偶然なのだろう。日本のジャズ界をリードするトロンボーンプレーヤーに成長するなどと、そのとき誰が考えだだろうか。南里文雄の生まれ変わりとしか思えない。

 英二郎の父は生まれたのが戦争中ということもあって、それは辛い育ちをした。その反動からか二人の子供溺愛し、自分にできなかった音楽教育を二人の子供に注いだ。英二郎より七つ年上の兄幸太郎は、それはそれは厳しく育てられた.その様子を見て育った英二郎は、音楽をやるということにおいては何の疑問も持つことはなかった。 

 中川家には、ありとあらゆる楽器が転がっていた。トランペットはもちろんコルネット、クラリネット、アルトサックス、テナーサックス、フルート、バイオリン、ベース、ドラムセット、ウクレレ・ギーター、はてはスチールギターまで、感心するほど何でもあった。普通の親なら大切な楽器を子供に触らせることはない。中川家においてそれは絶対にない。近所の迷惑省みず、「ドンチャン ピーピー ブーブー ガンガン」それはそれはにぎやかなことだった。

 父はトランペットの他にはアレンジもし、自室の防音の部屋で大きな音を聞きながら譜面を書いている。二歳になった英二郎はコルネット持ち出しその父のアレンジする音に合わせ、ただがむしゃらに、でまかせに演奏をする。演奏というのは名ばかりで、単に邪魔をすることである。父はそれを怒るでもなく、ただニコニコして見守るだけである。
 
二歳半になったころから父は正式にコルネットを教えてみようと試みた。アレンジに合わせて吹いていたこともあり、簡単に「聖者の行進」ぐらいは吹いてしまう。二歳半というと、やっとおしめがとれる頃だ。口におしゃぶり、お尻におしめ、手にコルネットというスーパーべビーの誕生だ。このころから父は英二郎をベビーカーに乗せて必ずライブハウスにつれて行くようにになった。さすがにまだステージにあがるのはむりだ。
 
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