第四十二章 ■アクシデント■ |
サクラメントジャズジュビリー数々のアクシデント その1 向里直樹「slipped disc」! 本番が始まった二日目の今日、向里直樹が腰を痛めた。「ぎっくり腰」 だ。この痛さはやった人でないと分からないらしい。私にはまだ一回も経験はないが、見るからにつらそうだ。取り敢えずバンジョー、ギター、ギターアンプは手分けしてメンバーが持つことにした。 すぐに英二郎がボランティアに話し、と言っても「ぎっくり腰」を英語でどういうのか判らない。私が念のために持っていった電子辞書で引いてみると、 「slipped disc」 椎間板ヘルニアと出ていた。今日一日は我慢して貰うことにして明日腰に巻くサポーターを購入しようことになった。 なんと言っても一番恐いのは旅先での病気である。一番おそれていたことが起きてしまった。 先に結末を言うと翌日ボランティアに「slipped disc」用のコルセットを入手して頂いた。そのコルセットが大変調子よく、装着したとたん本人曰く 「あっ、直った。走れる」と言っていきなり走り出そうとしたので、みんなで制止する一幕もあった。 その2 楠堂浩己アメリカの花粉症! これもやはり病気と言って良いのだろうか。楠堂浩己が四六時中、鼻をぐすぐすし始めた。 最初の中は「風邪かな」と心配してみていたら、 「花粉症なんですよ。アメリカの花粉症は日本よりきついです」 話を聞いて見ると、日本にいる時も毎年花粉症で悩んでいるらしい。 楠堂浩己に言われて新ためてサクラメントの通りなどをよく見ていると、確かに大きな花粉が風に舞っていた。その大きさをどう表現したらよいのだろうか。直径1.5センチほどの綿のボールのようなものが、風が吹く度に右に左に風にもてあそばれている。 「アメリカという国は、国もでかいが花粉もデカいもんだ」楠堂浩己の花粉症の原因は私たちが目にしたものとは違うだろうが、私たちは 「こいつが犯人だ」と思い込んでいた。 この花粉症が元で、来年のサクラメントジュビリーに楠堂浩己が不参加にならない様に今から対策を考えなくてはならない。 その3 トランペットのピストンが動かない! トランペットのピストンとは楽器の真ん中に付いている三つのボタンのことだ。これが動いて始めて演奏が出来る。本番二日目、二つ目の場所でのことだ。野外ステージだった。 これが室内だったらこのアクシデントも起きなかっただろう。風が強いなかでピストンに油を差した。その時は動いたのだがステージに上がり3曲目に突如3番ピストンが降りたまま上がってこなくなった。それも曲の途中である。3本もある中の残り二本だけを使い、私の吹く所だけはなんとかごまかしてと言っては口が悪いがその場をつくろった。 ステージ上でのアクシデントはすべてプレーヤーの責任である。観客にトランペットが壊れましたので「さようなら」と言うわけには行かない。 「これは困ったことになったぞ」こんな出来事は、生涯のなかでそう何回もあるものではない。 「そうだワイルドビルデビソンに貰ったコルネットが有る」これぞ天の助け、ワイルドビルデビソンがその場を救ってくれた。結局、観客にはなにも気づかれずにステージを終えることが出来た。 風が吹く日の野外での演奏は、気を付けなくてはならないと言うことが、四十年目にしてわかった。 「少し遅すぎたか?」反省しきりである。 その4 向里直樹パスポート紛失事件 向里直樹の音楽性は非凡なものがある。私に言わせれば 「これは天性だ」と言うことになる。彼が二十六才の時に始めて会ったが、すでにその時から鋭いものを持っていた。 「どーやって、勉強したらあの様なプレーが出来るのか?」もちろん本人は答えようがない。と言っても、音楽性と人間性とは別である。 良く言えば天真爛漫、野球で言えば「長嶋」的人物である。 コンサートが始まって3日目、サクラメントINのステージも無事終了。全員ボランティアの車に乗りこみ、走り出して3分も経たない中に向里直樹の奥さんが大声で 「大変だ!私のウエストポーチがない。あの中にはパスポートとお金が入っている」間の悪いときは間の悪いものである。その日の朝今回コンサートのギャラを渡したばかりである。又普段はパスポートはホテルの貸金庫に預けているのだが、娘さんの耳にピアスの穴をあけるためパスポートを貸金庫から出してきて、そのウエストポーチに入れていたのだ。お金も大事だがパスポートはもっと大事なものである。早速、英二郎がボランティアに 事と次第を告げ、と言っても英語に直すには、かなり込み入った話である。 取り敢えず車を、今演奏をしてきたサクラメントINの方へUターンをして貰った。 「お金が入っていればもう見つからないだろう」そう考えざるをえない。 サクラメントINの車を止めてあったところから、みんなで手分けをしてウエストポーチを探した。車の下をのぞいたりバンドの控え室を重点的に探した。 「やっぱり無理か・・・」とその時、 「有った!」向里直樹本人がなんとロビーのゴミ箱の中から見つけたのだ。大した根性である。 「パスポートは入っている!」みんな思わず 「良かった!良かった」しかし、次の瞬間 「お金が無くなっている」しかしその額は百ドル弱だったのでパスポートが見つかっただけで良しとした。奇しくもボランティアが言った言葉が 「ウエルカム ツー アメリカ ジスイズ アメリカ」ステージ終了後スタンディングオーベーションで暖かく拍手してくれたのもアメリカなら、ウエストポーチからドルが無くなったのもアメリカだ。 何はともあれパスポートがあったのがなによりだ。もしなくなっていたらと考えると、日本大使館への手続きやあれやこれやがあり、もっと大事件になっていただろう。 その5 小林真人靴底事件 長生きしていると色々なことに遭遇するものである。 サクラメントの暑さと乾燥でなんと小林真人の靴底がステージ中に靴本体から離脱した。ベースというのはトランペットやクラリネットほどステージ上で動き回ることはないが、といっても動かないと言うわけではない。とくに今回はドラムとベースのパフォーマンスがある。ステージ中央までどうしても出て行かなくてはならない。 「なんとしても、靴底もステージ中央までは同行して貰わねばならない」彼には悪いが小林真人のステージ中央まで移動する格好を思い出すと、少々機嫌の悪いときでも思わず顔が笑ってしまう。その場の応急手当も思い出すだけでまた吹き出してしまう。なんと後藤千香のピアノソロの間にガムを噛みそれで急場をしのいだのだ。あのまじめな顔をした小林真人がやるからなおさらだ。機嫌の悪いときに思い出すと良い薬になる。 アメリカでは日本人に合う靴を探すのが大変困難で有る。その上今回のステージシューズは白と決めてあるのでなおさら入手困難だ。打つ手がなく修理することにした。この状況をボランティアに英語で説明する英二郎の姿を思い出していただきたい。 「靴底がはがれたから、革用接着剤の売店まで案内してくれ」一発でスーパーマーケットの接着剤売場につれていってくれた。英二郎の英語力も大したものである。 その6 ミュージックブック未だ届かず すっかり忘れていたが、向里直樹が日本からサクラメントのホテルに送るようにと電話をしたミュージックブックが、私たちがサクラメントに滞在中にはとうとう届かなかった。 「あのミュージックブックは今頃どこを旅しているのだろ?」一昔前ならあきらめもするが二十世紀も終わろうとしている現在ならアメリカと日本の間である。 「時間がかかっても必ず届く」こういう自信はあるにはあった。 また英二郎の登場である。フロントに対して 「必ず日本からA4サイズの小包がこのホテルに届くので、それを日本に送り返していただきたい。送料に付いては着払いにしていただきたい。」さすがに通じるには通じたが、着払いと言うところで、問題が生じた。 「いくら何でもそこまではやらない」と言うのがフロントの言い分だ。 「さあ困った!」色々交渉をしたが、結局ロサンゼルスの旅行社の方にすべてお任せする事にした。 そのミュージックブックが日本の我が家にかえってくるには、その本が我が家を出てから一ヶ月はゆうにかかった。 パスポートもなく一ヶ月、よくもアメリカを旅したものである。 |
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