第二十六章
■灼熱下の演奏■

 しかし暑い。何しろ日差しが強いのだ。カリフォルニアの青い空と言っている中はよいが、いざ屋外での演奏となると話は別だ。カリフォルニアの青い空などと言っている場合ではなかった。
 我々が演奏している場所は、一様屋根は着いてはいるものの、時間が経つにつれてステージに日差しが入り込んでくる。我々管楽器奏者の場合は、演奏場所を移動することが出来るが、リズムセクション、とくにピアノなどは絶対に動くことが出来ない。
またアメリカのミュージシャンを使う時間割が日本では考えられないスケジュールなどだ。12時から4時までと言う約束で現地に到着したものの、見せられた時間表では、「50分演奏、10分休憩」、どうやらこれがアメリカの常識らしい。
 それが証拠にエキストラに来ているドラマーは、何のとまどいもなく当たり前のような顔をして演奏している。我々もプロフェッショナルなので弱音を吐くわけにはいかない。

 長いステージ時間と強い日差し、また日本を発って五日ぶりという仕事に、私を含めバンドをメンバーの疲労が感じられる。
 まず私がつらいと感じたのは、暑いと言うこともあるが、日本と比べて空気が乾燥していることだ。トランペットの場合、マウスピースを口に当てなくてはならない。長年の日本での演奏経験により、これだけ暑いと適当な汗により唇が潤っているのである。気が付いてみると汗を全然かいていないのだ。唇が乾燥しきっている。リップクリームをステージ中に塗るようなことは始めてである。私が普段日本で使っているリップクリームは、ハッカ製のもので、これはステージの最中に付けるとメンソールで一時唇が軽い麻痺をする。結局このリップクリームはアメリカでは通用し無いことが分かった。
 一番の被害者は、ピアノプレーヤー後藤千香である。体の露出部分は全部一応日焼け止めクリームを付けたものの、うっかり肩だけ塗り忘れた。次の日、その部分が赤く炎症を起こしていた。
 こうやってみると日本の湿気も、不快指数などと言って嫌われてはいるが、日本人の体にあっているようだ。

 もう一つのステージ時間との戦いだ。50分演奏、10分間休憩、これが日本ならとても屈服できないが「郷には入れば郷に従え」で日本人としても「つらい」などと口に出来るものではない。日本でのコンサートを抜きにしても、通常のライブの場合は、40分演奏すると最低30分は休憩をする。日本流に言えば労働基準法違反である。・・・等と考えながら最後の50分に突入した。私の長い音楽生活において、肉体的には一番つらいステージが終わろうとしている。
 時間とはありがたいものだ。少々のこと、つらいこと苦しいことなど、必ず時間が解決してくれる。4時に終了し、急いでメンソールなしのディップクリームを購入した。

 のんびり構えていたら 今夜は8時半からもう一つのステージがある。日本を発って五日ぶりの仕事がこのハードさだ。
「最後まで音が出るかな?」等と少々心配になってくる。
 2時間ほどの休憩で次のステージへの迎えの車がホテルに来た。

 ステージは8時半から70分間だ。なんと今度は、昼間の暑さとは違い、寒さとの戦いである。バンドのメンバーは昼の暑さがあったので、ステージ衣装も薄着でよいと、私に主張したが、私は去年寒さに震え上がった覚えがあるので、
「必ずブレザー着用」と半ば強引にメンバーに通達した。案の上をステージは東京で言えば「花見のちょっと前あたりの気候」で、昼と夜との気温の違いに、日本にはない砂漠的気候に改めて驚くのである。

 夜の演奏会場は本番のコンサートでも使うオールドサクラメントの中にある特設ステージだ。何しろこのサクラメントジャズジュビリーというのは、サクラメント市が一年で一番力を入れているイベントだ。その甲斐もあって本コンサート一週間前というのに、多くの観客がステージに集まっていた。地元の熱心なジャズファンも大勢集まっているようでとても本番一週間前とは思えない。

 プリジュビリーという軽い気持ちで乗り込んだのだが、
 「これは半端ではすまないぞ」と軽い緊張を覚える。
 すでに我々の前にクラシックジャズのバンドがステージをつとめていた。すべての演奏がアレンジされており、全員が譜面を見ながら古き良きアメリカを再現していた。はっきり言ってしまうと、私の好みには合わなかった。もちろんいろいろなスタイルのジャズがあって良いわけだから、私がどうこういう立場ではない。私の直感では
「少なくとも今演奏しているグループより、観客を喜ばすことが出来るぞ」妙な自信のようなものがあった。もちろん盛り上がるだけがステージではないがやはりディキシーランドジャズという特徴からしてみると、
 「観客が喜んでなんぼ」というのが私のやり方だ。

 前のバンドの演奏が終了し、セットチェンジが始まった。もう気分は本コンサートと同じだ。司会者との打ち合わせは全て英二郎にやって貰う。そしてもう一つ大事なことは、ステージでのバンドの配置だ。各マイクの位置、モニタースピーカの位置、ピアノの向き、ドラムセットの位置、等々英二郎がてきぱきと指示を出している。
「今回のツアーに英二郎がいなかったらどうなっていたのだろう」等とつぶやきながら、私も曲順を決めたり、自分の「立ち位置」を決めてメンバーと最後の打ち合わせに入る。

 「ヨシツ!いこうか」皆に声を掛けステージ上へ。ふっとステージサイドを見てみると、サクラメントジャズジュビリーの役員達がずらりと並んで我々のステージを見守っている。
 すでに本コンサートのプログラムが決まっている。コンサート会場となるところは、百人規模のライブハウスから、収容人員2千人クラスのコンサートホール、三、四千人は収容できる特設ステージまである。いろいろとある中で、すでに私たちバンドが出演決定している会場は、大きな所ばかりである。それを決定した役員達にしてみれば、見知らぬ日本から来たバンドが
 「どの程度の演奏をするのか」期待と不安、心配とがあるのだろう。
私は内心
 「任せて置いてください」そんな気持ちでステージに上がった。
 ステージというのは一曲目で客をつかまなくてはならない。またメンバーの
「士気を鼓舞」と言うか、いわゆる「やる気」というのを引き出すのもリーダーの役目だ。一つだけ心配は、ドラムがアメリカ人と言うことでコンビネーションの乱れが一番恐い。しかし、今日のエキストラのドラマーは、なかなか優秀なので心配の必要はなさそうである。

 先ほども言ったが、一曲目は大切だ。そのステージの出来不出来を左右するといっても良いだろう。悩んだあげく「That's a plenty」でスタートすることにした。
 「Give me 8bars」8小節のドラムのイントロを貰い緊張のステージは始まった。

 まず、気にするのがマイクの調子だ。観客に聞こえて始めて成り立つ仕事である。
 次にモニタースピーカーの音の返りだ。このモニタースピーカー次第でミュージシャンの力が、出るかで無いかの大きな鍵になる。
 こういっては日本の音響設備の方に申し訳ないが、ことジャズに関しては、さすがにアメリカである。つぼを心得た音響のオペレーション振りには感心させられる。
 1曲目は快調なペースで進み、曲の終わりにドラムソロを盛り込み盛り上げて終わった。

 すごい拍手だ。私の想像以上の反響にとまどいを感じた。ふっとメンバーを見渡すと、同じく照れたような、信じられないような面もちで、立ちすくむと言ったらよいだろう。
しかし私はそんな感激に浸っている暇は無い。

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