第六章
■ジャズの歴史■

 ジャズの歴史=ディキシーランドジャズ誕生の秘密といってもよいだろう。
ジャズはアフリカの黒人がつくったといわれるが、それは間違いである。アフリカの黒人がジャズの源であるならば、現在アフリカのどこかにジャズがなくてはならない。といってもアフリカの黒人なしにはジャズは誕生しなかったであろう。

 アメリカに奴隷として連れてこられた黒人たちは過酷な労働を強いられた。奴隷としての精神的な虐待、過酷な労働というのもジャズの生まれた1つの要因である。
 黒人たちの持っている何万年という培われたリズム感と、西洋人の持っているハーモニー感の融合がジャズといってもよいだろう。
 過酷な労働による苦しみを癒すために、遠いアフリカを思い、ドラム缶の底をたたいたりしながら西洋人の音楽を奏でた。
 「これで又明日から力一杯働けるぞ」今で言うストレス解消、それこそがジャズの誕生だ。
黒人達が取り上げる曲も、それは賛美歌だったり、マーチだったり、またヨーロッパの民謡だったりした。

 一方ジャズは当初、ダンスのための音楽といってもよいだろう。ここら辺りまでを普通ニューオーリンズジャズという。

 黒人の奏でるリズムを中心にしたダンス音楽を心地よく感じた白人たちは、逆にそれを自分たちの商業音楽として取り入れるようになる。このニューオーリンズジャズを商業音楽として白人達が演奏したその演奏形態をディキシーランドジャズというのである。

 こう言ってしまうと「何だ」という気持ちになると思うが、この世に何かが生まれる時というものは得てしてそういうものである。日本の歌舞伎なども元はといえば俗にいう「かわらこじき」が出発点といわれている。アメリカの歴史は大変浅いが、アメリカ独自の文化といえば、また独自の文化といえるのはジャズだけであろう。

 アメリカンジャズの功労者といえば、なんといっても、ルイアームストロングだ。もちろんアームストロングがいきなりジャズを作ったわけではない。なんでもそうだが、バディーボールデンとか、キングオリバーなどという著名なトランペット吹きがいた。しかしジャズの基礎を確立したのはルイアームストロングといってよいだろう。
 
 もちろん様々な経過をたどってルイアームストロングにつながるのだが、ジャズにおけるルイアームストロングの立場といえば二十世紀最大の天才と言い切れる。

 ルイアームストロング1900年7月4日(アメリカの独立記念日)ニューオーリンズに生まれる。
 十三歳のとき今いうピストル不法所持で少年院送りとなりそこでコルネットを習得。
サッチェルマウス「がま口」がなまって「サッチモ」のニックネームをもらう。キングオリバー楽団を皮切りにその後の活躍は歴史に残る。ジャズに残した功績は計り知れないものがある。
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